新しい日常、そして闇

1

あれからずいぶん経った。
人に馴染むのが苦手な私も
話し相手が4人だけで、
その全員が自分に好意的、という状況であれば
案外馴染めるものらしい。

仕事の手伝いになっているのか
分からないけれど、
私はお茶汲みをしている。

「はい、空山さん」
私は素っ気ない態度で空山さんにお茶を出す。
なぜなら、この人は隙あらば
私の手を握ってくるからだ。
女性陣全員に対してそうなので、
そういう人なのだとは分かるが、
苦手なものは苦手だ。

人間としては、嫌いじゃないけれど。

「やー、女の子の淹れてくれるお茶は
 それだけでウマイってもんで」
「空山が下手すぎるだけだろ」
千春さんの早すぎるツッコミ。
神速と例えてもいい。

「それで、これは柊さん」
モニタを凝視している柊さんの机に、
私は紅茶を置く。
この人は、紅茶以外は駄目らしい。
緑茶も、コーヒーも苦手なんだとか。
ハーブティはギリギリセーフなんだっけ。

「嬉しい、助かる」
感情のこもっていない口調でお礼を言われた。
集中しているからなのか、
元々そういう人だからなのかは分からない。

ただひとつ、確かなのは。
この人はあの日、おかしなことを言ったけれど。

……あれは、
ただの笑えない冗談だろう、ということ。

それを、この人を許す理由にはできないけれど
そもそもそういう種類の人間では無いのだ。

人間を人間だとしか思っていない。
女性を大切にしようとする“基本”はあるが
それは相手を女性として扱っている訳ではない。

この人は一体、何を考えているのかな。


「はい、千春さん」
千春さんは、実はこの仕事が苦手らしい。
嫌いではない、むしろやる気は満々なのだけど
そのやる気に見合った成果が
上がったことはないんだとか。

それでも、千春さんは
頑張って食いついて、なんとか生き残って……
そして、このチームと共に
命を散らすと決めた。
友情とか情熱って、凄いよね。


「あの、千秋さん」
「……うん? 質問かな?」
私は千秋さんにお茶を差し出しながら、
気になっていたことを尋ねる。

「どうして、毎日仕事してるんですか?
 それも、命令なんですか?」
はじめから気になっては、いた。
見捨てられたチームが真面目に仕事をする
保証なんてどこにもないのに、
なぜこの人達には仕事があるのかと。

「おや、気づかれてしまいましたか」
どうやら私は、
千秋さんの謎の敬語スイッチを
入れてしまったようだ。

「実は、これは勝手にやっていることなのです。
 ボランティアなのであります」
「……本当に熱心なんですね」
「華菜ちゃんと綾ちゃんを追うついでとも
 言うけどね。
 それに、仕事量は昔の1割以下。
 別世界に行っちゃった本部の取り残しを
 こっそり拾ってる程度」
「……はぁ」

つまり、同じ仕事をやっている人はいるが、
それでも完璧ではなくて……
そのフォローをしているといったところか。

「綾ちゃん華菜ちゃんが見つかったんだから
 もうやめてもいいんだけどな。
 まぁ、癖は抜けないもんだし」
ソファでお茶を飲んでいる空山さんが言う。
「一番サボってる奴が言うな」
やはり、千春さんの神速ツッコミが入った。

「俺は事件が起こったときが働くときだからいいの。
 柊もそんなもん眺めてないで、こっちでサボれ」
サボり仲間を増やそうと試みる空山さん。
なんだか楽しそうだ。

「こんなものを眺めるだけで済む時点で、
 充分サボっている」
なんだか格好いい返事をしてる。
やっぱり、昔はもっと忙しかったのかな。

「はい、綾」
「あんりがと」
最後に、綾にお茶を出した。
綾も、千秋さんや千春さんのように
画面とにらめっこする仕事の手伝いをしてる。

4人の仲間が揃い、
2人の学生が匿われているこの小さな部屋は
私たちの仕事場であると共に
安らぎの場となっていた。


レーダーが反応することは少ない。
何もないまま、1日が過ぎていく日が多い。

「ほんじゃ俺、ちょっと寝てくる」
空山さんが、立ち上がった。

「アホ組ご退室~。いい夢を」
千秋さんが言う。

「あー、むかつく!
 でも本当だからつっこめない!!」
千春さんが頭を掻きむしりながら
立ち上がる。

そう、交代の時間なのだ。
だからたまたま、今は全員揃っていた。

人間が24時間起き続けていられるはずはなく
この必要最低限の人員しか居ないチームは
2交代制で世界の外側を見守っている。

千春さん、空山さん。
千秋さんと、帰ってきた柊さん。

このふたりが入れ替わりで仕事をし
私たちは……それとは関係なく、
朝起きて、昼お手伝いをして、夜眠る。
そんな生活を続けている。

私は……
私はこの、交代の時間が好きだ。
みんなが揃う、この時間が。

余所者だけど、そう思う……。

柊さんが帰ってくるまでは
千秋さんの負担が大きかったみたいだけど
千春さんは空山さんのサポート無しでは
千秋さんほどの働きはできないようで、
そういう班分けになっているらしい。

あとは、性格の相性の問題とか。



「柊くん、そっちに送ったデータ、どう思うー?」
4人だけになった部屋で、
千秋さんが柊さんに何かを尋ねている。

「ああ……確認した。
 現時点では判断すべきではないだろう」
「だよねえ。
 うん、一応確認しただけ」
人の失踪の前兆の話でもしているのだろうか。

「綾ちゃん、さっき送った
 私からの課題は解けたかなー?」
今度は、綾に話を振る。

「あっ、はい、今答えを送るところです」
「おぉー、仕事と並行して
 これだけ早く提出できるなら将来有望です」
綾と千秋さんも、
何かデータのやりとりをしていたらしい。

「何をやっていたの?」
私は綾に聞いた。

「千秋さんからの……宿題みたいなものかな?
 この機械を使う上で、忘れちゃいけないこととか、
 基本とか、定期的にテストして貰ってるの。
 ほら、私って無資格の素人だし」
「宿題をやってこない綾が!?
 テストはいつも赤点スレスレの綾が!?
 自分から進んで宿題を……っ!?」
「やりがいがあるんだもん」
綾はむくれた。

勉強って、やりがいとか、
そういうものとは関係なくやるものだと
思うんだけど……
まぁ、綾が真面目になったのなら、いいか。


「はい返信したよー。合格ですね」
千秋さんからの返信が来る。
相変わらず英語ばかりで、
私には意味不明な文面なのだが、
所々、赤文字が入っている。

「うは、またギリギリですか?」
綾がうなだれた。

「ギリギリでもいいんですよう。
 そんなこと言ったら、姉さんなんてもっと酷いし。
 来て1年も経たない綾ちゃんが
 ここまで出来る子だって知ったら、
 姉さん落ち込むだろうなー」
「うう……でも悔しい」
これ以上ないほど
褒められていると思うんだけど、
綾は悔しいらしい。

「こういう傾向の人は伸び代が大きいのです。
 こんな初期に細かいことを
 気にすると成長が遅れますよー」
「はい……頑張ります」
綾は気を取り直して、モニタと向き合った。


2

そんな平穏な日常も
警報音ひとつで、簡単に壊れてしまう。


「……小規模転移反応確認、俺が出る」
低いが、しっかりと聞こえる声で柊さんが言った。

「確認。ゲート3スタンバイ」
「了解」
千秋さんが答え、柊さんが立ち上がる。

部屋は、この前とは違った落ち着き方をしている。

「あ、あの!」
柊さんが部屋を出て行こうとしたとき、
綾が声を上げた。

「こっちも反応してるんですけどっ!
 ご、誤作動かな……」
「何?」
柊さんは足を止め、部屋の中を見ている。

「こちらでも確認。
 ほぼ間違いないけど、そっちも見るね」
千秋さんは綾の後ろに回った。

「……誤作動じゃない。
 こっちでもひとり、さらわれかけてる。
 姉さんと空山くんを叩き起こさなきゃだね」
そう言うと、千秋さんはなんの躊躇いもなく
何かのスイッチを押した。
おそらくは緊急事態を知らせるものだろう。

「ゲート1スタンバイ……っと」
千秋さんが、何か操作している。

『こちら空山! いつでもいけるぜ』
通信が入ってきた。
そうか、空山さんはゲートに直行したんだ。
考えてみれば、当たり前か。
それにしても、ずいぶん足が速いんだなぁ。

「了解。およそ3分後にオープンします」
『了解』
千秋さんは落ち着いた声で指示した。

「おい、まずいんじゃないのか」
いつの間にか、私たちの後ろに回っていた
柊さんが呟く。

「柊さん!? まだ、いたんですか?」
「3分の余裕があるからな」
……3分なんて、すぐだと思うんだけど。

「姉さん、遅いなぁ……。この難しいときに」
呼んだはずの千春さんが来ない。
空山さんはすぐに移動したのに。

「この状況だと
 ゲート1とゲート3はほぼ同時に
 開かないといけない。
 だが、ひとりの人間が
 ふたつ以上のゲートを同時には開けないだろう」
柊さんが淡々と語る。

「うー、姉さんの馬鹿っ!
 あ、柊くんはもう行って!
 綾ちゃんになんとかしてもらう方向で頑張るっ!」
千秋さんが言うと、
柊さんは小さく頷いて、部屋から出て行った。

「綾ちゃん、思ったより早く本番の時が来ました!
 頑張りましょー!」
出来るだけ明るい口調で話しかけているつもりなのだろう。
千秋さんが綾の両肩をポンと叩く。

「…………」
綾は押し黙ったまま、何も答えない。

「コマンド入力して、
 最後にこのボタンを押すだけだから!
 多少ズレても、空山くんはプロだから大丈夫!
 ね? 怖くない、怖くない」
「は……はい」
綾が、自信の無さそうな声で答える。

私は話の意味すら分からないのだが、
今何かを聞いても、仕事の邪魔になるだろう。

千秋さんは綾のコンピュータを
少し操作した後、急いで自分の席へ戻った。

「柊くん、着いてる?
 30秒後にオープンします」
『問題ない』

千秋さんはコンピュータのキーボードを
素早く操作しながら、通信もこなして。

綾も無言でキーを操作しているが、通信している様子はない。
「綾、通信は?」
私は綾を急かした。
ほぼ同時なのなら、こちらも時間がないはず。

『俺を導いてくれるのは綾ちゃんかなー?
 あと40秒くらいだと思うけど、合ってる?』
空山さんの方から、フォローが来た。
やっぱりプロだ。
普段はおちゃらけているけど、
やるときにはちゃんとやるんだ。

「こちら中井。
 ゲートオープンは……」
「テン、ナイン……」
綾の声と千秋さんの声は入り交じり、
場の緊張感はいっそう高まって。

…………。


結論だけ言おう。
綾は、失敗した。


コマンドの入力も完璧だったし
カウントのタイミングもほぼ完璧だった。
しかし、最後のボタンが押せなかったのだ。


全てが終わった後、綾は青ざめた顔で
何も言わずに座っていた。

「気にしない、気にしない!
 初めての場合、こういうケースの方が多いくらいだし」
千秋さんが、綾をなぐさめる。

「でも、その人……助けられなかったんですよね。
 私のせいで」
綾が呟くような小さな声で言った。

「う……うーん。そうだけど。
 でも……」
「行方不明に、なっちゃったんですよね?」
「それは……残念ながら。うん」
千秋さんは、妙に落ち着いている。
きっと、こんな状況にも慣れているのだろう。

「でもここは、気を落とすとこじゃないよ~。
 ほら、私たちがいるってことは、
 私たちの知らない世界がまだあって
 その人達が助けられなかった人を助けてる、って
 可能性もあるんだし。

 私たちは、私たちの技術の範囲でしか
 動けないんだから」
割り切っている、ということか。
そういえば、集団失踪に関しては
完全に諦めている感じだった。

ああ、人はこうして“慣れて”いくんだな……。
あの時は諦めきっている雰囲気が
許せなかった私も、
失敗したのが綾だ、と思うと何故か
怒りが湧いてこない。

それよりも、綾を励ましたいと思ってしまう。


私が、適当な人間なんだろうか?
それとも、人間が……
元々そういうものなのだろうか?

より親近感の湧く方を選ぶ……
身近な者を、大切にしてしまう……。


3

「うおっす!
 しおれてないか、美しい花々!」
元気な声で、空山さんが部屋に入ってくる。

「一輪しおれちゃってますねー」
ツッコミもせず、答える千秋さん。
ある意味華麗なスルー術だなぁ、これも。

「よくある、よくある!
 まぁ、本来なら軽い処分があるけど
 見捨てられしチームに罰など無いっ!
 綾ちゃんが気にすることはないんだ」

「でも……」

「ついでに言うと、ほとんどの人が通る道。
 綾ちゃんがどんな気持ちで
 最後のボタンが押せなかったのかは
 俺には分からないけど、
 あそこまで行けたのに
 失敗する新人は毎年いた。そういうもん」

「ごめんなさい……。ごめんなさい……」
「謝ること無いって」
空山さんは綾の頭を撫でた。

「空山くん、柊くんは?」

「あ、ああ。
 なんかフラフラしてたから、
 もう帰れって言っといた。まずかったか?」

「ううん、平気。
 報告は来てるのに、帰ってこないから
 おかしいなぁって思っただけ」

柊さん、まだ調子が悪いのかな。
顔には出さないようだけれど。

「柊は、休ませた方がいいんじゃないか?
 俺は飛び起きるのも慣れっこだし、
 基本今まで通りの方針でどうだ?」

「だよねえ……。
 この間も、倒れたところだし。
 元から弱ってるしねぇ。
 今回どうなるかで、考えようと思ってたんだけど」
千秋さんは神妙な顔をしている。

「まぁ、この間ほど
 やばそうでもなかったけどな」
「あ、それは良かった」
千秋さんは少しだけ安心したようだ。

この間のような状態にしょっちゅうなられたら、
私でも困っちゃうよ。


「で、はるちゃんはまだ来ないと」
「うん。ちょっと見てきてもいい?」
「いいぜ。代わりに俺が見とくよ」
「ごめんね」
千秋さんは小走りで部屋から出て行った。

そりゃ、心配だろうな……。
姉妹だもの。

今まで冷静に仕事と綾だけを優先していたのが
不思議なくらいだ。

何事もなければ、いいんだけどな。


  • 最終更新:2012-04-11 09:14:35

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード